名前
平野普之(ひらの ひろゆき)
学歴など
- 青森県出身
- 函館ラ・サール高校卒
- 東京大学教養学部基礎科学科第一卒
- 東京大学大学院工学系研究科中退
私が卒業した「基礎科学科第一」は現在の「統合自然科学科」です。「基礎科学科って何?」とよく聞かれるので,「学科長あいさつ」を引用します。
基礎科学科は,東大の理系・工系諸学科の中でユニークな学際的理系専門課程です。数理・物理・化学・生命の諸科学を,垣根を外して学びます。1998年からは科学を科学するメタサイエンスも加わりました。学生が自分の専門分野を確立する勉強を続ける中で,同時に,非専門分野の考え方を最低1つ以上学んで視野を広げるという,特徴ある教育を行っています。発育期に偏食しないことが健康な肉体を作る上で必須であるように,学生時代に他分野への視点を培うことは,将来,柔軟な思考を維持して自分自身で主体的に考える続ける科学・技術者となるために重要です。そのような科学・技術者こそ,現在の社会から求められています。
チャレンジ精神の旺盛な皆さんの参加を待っています。
http://www.kisokagaku.c.u-tokyo.ac.jp/general/address.html(←現在はリンク切れ)
「非専門分野の考え方を最低1つ以上学んで〜」とあるように,いろいろな分野の勉強をして境界領域の研究をしようという学科です。
自分の専門分野だけでは単位が揃わないシステムになっていて,ほとんどの学生は数学,物理,化学,生物をすべて学びます。英語が 3 年まであったり,単位にならないながらも体育の授業があったり(教員や事務員も参加する)で,ちょっと変わった学科でした。当時の学生は自嘲気味に「高校の時間割の延長」と言っておりました。
基礎科学科の組織と名称の変遷についてはこちらが詳しいです。「基礎科学科」→「基礎科学科第一」→「基礎科学科」→「統合自然科学科」と変化したんですね。
www.integrated.c.u-tokyo.ac.jp
私は主に数学と物理を学びました。卒業研究は氷上忍先生のもとで。
https://groups.oist.jp/ja/mtpu/shinobu-hikami
その前の半年は前田京剛先生のもとで論文購読。
http://maeda3.c.u-tokyo.ac.jp/index_j.html
こうして振り返ってみると,大学 4 年のときは物性物理漬けだったみたいですね。
ところで,教養学部卒の私は教養学士であり,分類上は文系になるらしいです。理科一類入学後,ずっと数学と物理を勉強していたはずが,いつのまにか文転していました。
大学院は工学部計数工学科の院へ。工学部でありながら理論系の研究室でした。教授は甘利俊一先生。
http://www.brain.riken.jp/jp/faculty/details/2
助教授は合原一幸先生でした。
http://www.k.u-tokyo.ac.jp/pros/person/kazuyuki_aihara/kazuyuki_aihara.htm
主な講師歴
- 遠山数理教育研究会(http://www.ytnt.meguro.tokyo.jp/Tohyama/index.htm)
- 鉄緑会東京校(http://www.tetsuryokukai.co.jp/)
- 鉄緑会大阪校(http://tetsuryokukaiosaka.jp/)
鉄緑会時代は数学と物理の主任を務め,『東大数学問題集』の作成にも参加しました。また,学年教務としてクラス編成なども担当していました。
その他
他に学力を証明するものとしては数学検定 1 級に合格し,Z 会では数学と物理で 9 段(最高位)をとりました。また,雑誌『大学への数学』では宿題賞をもらいました。
模試の成績は正直あまりおぼえていないのですが,東大実戦模試と代ゼミ東大模試の数学では全部解けたことがあるので,それなりにいい成績はとっていたと思います。唯一おぼえているのは京大実戦模試の数学で,5 位だったことがあります。
当時の受験のシステムはいまとかなり違っていて,「前期が京大を含む西日本の大学,後期が東大を含む東日本の大学で,両方の試験が終わってから合格発表があり,その結果を見てどちらに入学するか決める」というものでした。ある程度できる受験生は東大と京大を両方受験するのが普通で,私も両方受験して東大理科一類と京大工学部電気電子学科に合格しました。